6
今心の中にたまっているもの全て吐き出したところでこの蟠りが溶けるわけじゃない。一時的に気持ちは楽になるかも知れないけど、どうせ私のことだから。また時間が経てば「なんて心の狭い人間なんだろう」と責める。終わる。
5
現実から目をそむけてはいけないということ。
ネタで言ったのか真面目に言ったのか、彼がどちらの意味でその言葉を私に言ったのか分からないけど。
とてもすっきりしました、それはとても。
私が今生きているこの土地で、働き、遊んで、暮らしている、この時間と、空間。
これこそが現実なのだと。
例えば。
確かにその言葉をかけた彼はこの世に存在していて、私も存在していて、いつか同じ時を過ごしたこともあり、離れた地で互いに暮らしている今も、その事実は変わらず存在していて。
彼と出会えたこと、話をしたこと、同じ場所で同じ音を聴いていたこと、同じ景色を観ていたこと、それも確かな事実であり、現実。
現実だろう、と
それならまた会いたい、話がしたい、と
その言葉を言うのがなぜだめなのか。
なぜ、現実から逃げちゃいけないと私に言ったのか。
そう思いました。
でも、彼が言いたいのはきっと、
今この地で生きているこの"私の現実"から逃げるなと。
そういうことなんだろうな、と。
ネットが身近にありすぎて、現実との境目がわからなくなっている。
普通ならありえないじゃないですか。
東京に、横浜に、青森に、札幌に、福井に、大阪に、京都に、福岡に、広島に。
知っている人がいる。
同じ地、新潟であっても。話は同じです。
普通なら絶対出会えない人たちと出会っています。
それも確かな現実ではあります。
でも"自分が"存在しているこの"現実"を生きなければならないと考え直せました。
現実から目をそむけてはいけないということ。
しかしながら、これも一つの出会い方です。
一つの運命と信じています。
私は全てが運命だと思っています。
運命に逆らうことはできない。
出会うべくして出会った人たちだと信じています。
出会えてよかったと心底思える人もいれば、何でこんな奴と、という人もいるし。
本気で傷ついたことも、何度かあります。馬鹿らしいけど、あります。
それもすべて私の人生に必要な人たちなのだと思います。
綺麗なだけが人生じゃないし、汚いことも知ってこそ綺麗なものの本当の価値が分かるし、生まれて勉強や友達に不自由しなくて誰かと結婚をして子供を産んで老いて死ぬよりかは、ちょっとどこかうまくいかなくて、たまには悲劇のヒロインぶったりして、でもやっぱり楽しいことも嬉しいこともたくさんあって、最期は大変だったけど何とかなった人生だったな、と思って終われれば本望です。
細く長いより、太く短く。
よく聞く言葉ですが、その通りだと強く思います。
長生きしたいとは思わない、ただ、充実した人生でいたい。
だからいつ死んでもいいように、好きなようにこの現実を生きるつもりです。
4
国家資格を持たない医療従事者です。
治療をすることはできません。
人を助けられません。
小さい頃から人を助ける医療従事者になりたかった。
お金と頭が足りなかった。
つまり努力が足りなかった。
その結果がこれ。
自業自得。
そんな中でもできることはあるのか、何度も考え見つけたつもりだった。
また迷い始めている。
国家資格を持たない医療従事者です。
人を助けられないのなら意味なんてないのではないかと
3
夢か現実か、嘘か真か、ただ信じられるのは自分の中に確かにある「愛してる」という感情だけ。
小学6年生の時に出会ったバンドだった。
音楽番組のランキングで出たあるバンドに惚れた。
恋愛の曲だった。
片想いの曲だった。
声と歌詞と聴きやすい曲調が好きになった。
それから特別LIVEに行くとか、CDを買うとかアクションを起こすことはなかったけれど、またそのバンドがテレビに出れば観るようになった。
新曲を出した。
今度は恋愛じゃなく、前向きで明るい曲。
そこで「私はこのバンドが好きなんだ」と感じた。
アルバムを買った。
いろんな曲があって、好きな曲も、あまり好きになれなかった曲も、何度でも繰り返し聴いた。
いつしかそのバンドが一番大好きになっていた。
それからそのバンドが好きな他の人と仲良くなったり、喧嘩をしたり、いろいろあったけれど。
やっぱり彼等が一番だなあ、と、思っていた。
過去。
最近は、メジャーやインディーズ、そしてジャンル問わずいろいろなバンドの曲を聴き、音源を買い、LIVEにも行くようになった。
ただ少しずつ、着実に、彼等から離れていた。
年に1回観られれば良い方。
最後に観たのは、去年。
2015.8.7。
去年一番行きたかったLIVEは行けなかった。
今年、行けます。彼等を観ることができます。
一番観たかった場所で、一番観たかった日で、一番一緒に観たかった人と。
ありがとうございます。
まず今年もその会場で、その日にLIVEをしてくれる彼等に感謝を。
そして行かせてくれて、ありがとうと。
確実に彼等から離れている、それは自分でも十分分かっていた。
熱しやすく冷めやすい、飽きっぽい性分ではありますが、彼等だけはこの10年、愛し続けております。
一度だけ、本気で嫌いになりそうになりました。
むしろたぶん、本気で少しだけ嫌いになりました。
でもこうしてFC継続して、LIVE申し込んで、当選して、心底喜んでいる。
その事実は確かなもので、だからこそこの「愛してる」現実が、嬉しい。
こんなにも愛せる存在が在ること、当たり前ではないと思います。
嫌いになるのは簡単な事。
好きでいるのは難しい事。
少なくとも私は、そうです。
夢か現実か、嘘か真か、何が確かな事実なのか、分からないけれど、ただ一言言えるのは、原点である彼等がやはり最も大切で、最も愛していくべき存在であるということ。
2
今はいろんなバンドを観て、聴きたい時期。
狭く深くというより、広く浅く。
まず知識がない。
大概の人なら知っているであろうバンドも私は知らない。
名前すら知らないバンドだって何組もある。主に洋タレ。
別にそれが悪いことだとは思っていない。
前にTwitterだかで、
「自分の好きなバンドがなぜ音楽を始めようとしたのか?ファンならそのルーツを辿るべきなのではないか。」
なんて言葉が流れてきたわけだが。
いやあそれは、人それぞれじゃないか?と。
"好きなバンド"というのもいろんな意味で"好き"になるんだと思う。
歌詞が好きだから。声が好きだから。音が好きだから。顔が好きだから。メンバーのファンサービスが嬉しいから。グッズのデザインが良いから。パフォーマンスがかっこいいから。みんなで騒げるのが好きだから。好きな人が好きだと言ったから。そして何も理由はないけど、ただなんとなく何かが気に入ったから。
こういう理由だって、誰かと共有できる理由もあれば、そんな理由で?と嫌な反応を示される理由もある。どれが良いとかどれが悪いとか、周りが決めて評価する問題じゃないんじゃないか、と。
だから、もし。
顔が好きだからそのバンドが好きだという人なら、別にそのバンドのメンバーがどんな音楽を聴いて音楽を始めようとしたのかなんて、正直どうでもいいはず。だって生まれ持ったその"見た目"だけが好きだから。
たぶんそのツイートをした人はそれが当たり前なんだろうけど、当たり前な人ばかりでないことも分かってほしいなあと。
それもまたある意味、私のわがままの押し付けかも知らんのですが。
話は戻りまして。今はいろんなバンドを観に行きたくて仕方がない時期。
中でも特に好きな、福岡のとあるインディーズバンド。
いつか彼らの地元で観たいと真剣に思っています。同時に私の地元、新潟にも来てほしいと切に願っています。
今はいろんなバンドを、観に行きたくて仕方がない時期。
この時期を超えれば、LIVEに行かなくなるか、決まったバンドだけ行くようになるか。どちらかになると思います。
後者でありたい、そしてその決まったバンドというのが、若きインディーズバンドたちのLIVEでありたい、と考えています。
特に福岡の彼らを何度でも、観たい。
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ゆたちん、ブログを始めた。
そりでは~~~~~。